先生を変えた・やめた経緯
ソナチネアルバムを引っ張り出しておりますふくべでございますよ。
こないだバトンをいただいた時に、ピアノの経歴のところで簡素に書いてしまったので、改めてその部分をやってみようかと。
無駄になげーですよ。
無理しないでね。
習い始めたのは幼稚園年長の12月。
それまでオルガンでアニメや童謡を適当に弾いていた。
ある日母がやってきてオルガンの横でしばらく遊び弾きを見守り
「ピアノ習おうか?」
と言われ
「ナラウって何?」
と承諾。
数ヶ月後、父が依頼して宮城の伯母のインテリアのカワイのアップを東京まで輸送してもらう。
買えば!?
母が人伝に見つけてきた、優しくて子供に教えるのが上手と評判のU先生。
初めての習い事でレッスンがとっても楽しくて、音符カードが大好きで、今だに音符カードの大きな音符を見るとワクワクする。
最初の頃使っていたのは、忘れもしない横長のメトードローズやトンプソン。
成長するにつれ、メトードローズは卒業、トンプソンも縦長になる。バーナムもあった。
小2の時にピアノを習っているクラスメイト(Mちゃんではない)の自宅ピアノに置いてあった教本がブルグミュラーで、挿絵もテキストもない大人な感じのハイレベルな青い教本にハートは鷲掴み。
同級生の間ではブルグミュラーはわりと普通に使ってるらしいことがわかってから、私も次はいよいよブルグミュラー!?とブルグミュラーに憧れるようになる。
今と違って練習好きだったし、今と同じで
「ブルグミュラーまだやらないの?いつやるの?どれをやったらやるの?」
と訴えまくりだったのに対し、U先生は
「そぅねぇ〜。ふくべちゃんはブルグミュラーやりたいの?上手になりたいの?あらそうなの〜。」
と要求は受け入れてもらえず。
4年生くらいにやっとトンプソンを卒業してブルグミュラーに入れたけど、その頃には周りはとっくにソナチネに突入。
ピアノを習っている同級生にトンプソンとかブルグなんて言ったら
「子供のやる楽譜だよねぇ(プ」
とされ、ものすごいコンプレックスとなる。
ある時U先生に
「ピアノを楽しんでもらいたいから先生のところではいわゆるピアノの王道はやらせないのよ」
ということを言われて目の前が真っ暗になり、そんな大事なこともっと早く言ってよ!のんびり先生&発表会もないこの教室では上手になれないと悟って、ピアノが天才的に上手な同級生Mちゃんのおばちゃんに習いに行こう!と子供ながらに決断。(と言ってもMちゃんは他所で習ってたけど。)
すぐにMちゃん経由で快諾してもらい、M先生の教室に移る。
U先生もM先生もどちらも同じ町内で、U先生の娘さんもM先生の教室に通っており筒抜けだったけど、私自身が気にしてなかったのと、U先生も上達したい私の気持ちを理解してくれていて、その後も変わらずお付き合いがあった。
M先生は、Mちゃんと私が小さい時からよく遊んでいたこと、学校イベントでなにがしか弾いているのを覚えていて、私を理解してくれていて
「前からふくべちゃんはうちに来ればいいと思っていたのよ〜」
と言われて教室を変わったのは正解!と満足。
スムーズにレッスンが始まり、ハノン・ツェルニー・バッハ・ソナチネ・ソナタにソルフェージュ・・・と勉強させてもらえた。
念願の発表会も体験し、厳しい部分もあったけど、初めて知ってる曲を弾かせてもらえたり、初めてピアノで充実していた。
中学に入り、未だになぜ選んだかわからないバレーボール部に入部、部活と並行しては身体的物理的にピアノが弾けない状態が続いた。
バレー練習後は手と腕が震えてしまってできなかった。
部活から帰宅後では時間的にも弾けなかった。
ある日のレッスンでM先生とMちゃんのお姉ちゃん(これまたピアノ達人)が
M先生「ふくべちゃん、ソルフェージュもっと頑張らないと◯◯音大入れないわよ〜」
ふくべ「へ?・・・おんだい?( ̄◯ ̄)」
姉さま「ふくべちゃんなら△△音大いけるでしょ」
ふくべ「はぃ?・・・( ̄◯ ̄)?」
M先生「そうねぇ。△△音大もいいわねぇ〜あそこなら入れるわね。」
ふくべ「・・・・・( ̄◇ ̄;)」
という会話があり、実親とも進路について話したことないのに、音大なんて一度も考えたことないのに、せめて行きたいか?と確認ならまだしも行く前提で話が始まって、親じゃない人に進路決められてる!?と怖くなる。
なんにしろ、部活も習い事も勉強も同時進行は無理だと気付き、中1の終わりに塾以外の習い事は全部やめ、部活を引退して、またやりたければピアノを再開しようと決めて、その頃課題に出されたうちのひとつ、ベトのソナタ19番だか20番を意地で2週間で仕上げて(同じ教室の子は課題を1〜2週間で仕上げるらしかったので)自分の中で錦を飾り、習い事を全やめした。ここでなぜ部活を残したのか未だにわからない。
やめた後、中2の春に△△音大の学生が教育実習で私のクラス担当になり、実習最後の日に幻想即興曲を披露してくれ、やっぱり音大行こう!絶対1年後にはピアノを再開しようと固く決意するも、数ヶ月後には宮城に転校しちゃうんで、M先生には習えなくなってしまう・・・残念。
転居先が父の地元だったので、父同級生になぜか地元音大の教授がいて、いつでもおいでと言われたけれど、その先生の名刺にソルフェージュの文字があり、以降独学となる。
〜ピアノ再開〜
今から数年前に所沢の旦那の元にやってきた私は、近所に知り合いがおらず、道も分からず、テレビがお友達。芸能人に詳しくなる。せめてピアノがあればなぁ。実家のピアノ持ってきたかったけど無理なので、電子ピアノをおねだり。
適当に弾ければいいやと思ってたけど、能力不足からその適当もできないことがわかり
→せっかく買ってもらったピアノに触る日が減る
→ピアノがインテリア化しかかる
→こりゃいかん
→ネットで先生を検索する日々
→近所に良さそうな先生がいるじゃないか
→旦那さん、体験レッスン申し込んでいっすか?
→師匠の御宅めちゃ近!(徒歩1〜2分。でも迷う。なぜ。)
→体験レッスンと同時に即入会。
てなわけでもういい歳した大人なんで趣味程度にと思っていたけど、予想外に本格ピアノを本気で指導してくれる師匠だったので、お言葉に甘えて今夏で丸3年(まだ3年?)。
プライベートでも遊びに行ったりして、とても良いお付き合いをさせてもらっている。
だからおしゃべりが減らない・・・。
そんなわけで、いろいろありますが、私は弾けなくなるまでピアノを続けようと思います。