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2017

幸せを願えるか

CATEGORYつらつら
先日、旦那氏が録画してくれていた関ジャニのピアノ王の番組を横目で見ていたら、10代のピアニストさんが、めったに弟子を取らなかった故中村紘子さんから直々にレッスンを受けにいらっしゃいと手紙をもらい、師事することになったのだそうだ。

それまでの先生方は、チャンスを逃してはいけないわ、と快く送り出したのだろうか。
私の生徒があの方に見初められたのね!と自己満足に送り出したのだろうか。
あなたのせいで私の収入が減るわ!と憤ったのだろうか。


愛する人が亡くなった時、なぜ悲しいのかというと、
「なぜ自分を置いて先に逝ってしまったのか」
という”怒り”が根源なのだそうだ。
つまり、
「この世に残された私はどうなる!?」
ということだ。

長い闘病生活の末、実母を見送った。
亡くなるにはまだ若く、私はもっと何かできたはずだったと後悔し、胸が張り裂けるように悲しいけれど、友人に上記のことを教えられて、はたと涙が止まった。

母がやっと苦しみから逃れ、あちらで笑っていられるならそれがいいのかもしれない。
私達家族がいないところで寂しくないだろうか、話し相手はいるのだろうか、手の届かないところで心配ではないだろうか。
そんなことばかり考えてしまうけれど、兄弟姉妹の一番上で頑張り屋だった彼女があちらで祖母と再会し、初めて祖母を独り占めできて、うんと甘えられているなら、それがいいのかもしれない。

相手の幸せを願うか、自分から離れていく人を恨むのか、はたまた非力な自分を憂うのか。

どんな人間関係でも相手のこれからの幸福を願う世の中に全員がなれば、争いもいじめもストーカーもなくなるんだろうに、人間は強欲だ。



↓強欲なのはピアノだけにしよう。
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